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人生詰んだ話。

29歳、フツメン~ブサメン、体型は普通。

順を追って説明していこうと思う。

特にオチも無いんで、興味がある奴だけ読んでくれ。

まず高校の頃、俺は超優等生キャラだった。

部活では部長を務め、成績も上位クラス。

一時期は生徒会役員も務めていたが、秘かに2日に1回はオナニーをこなす“初級オナニスト”でもあった。


そんな俺が実家から遥か彼方、九州の大学の理系に進む事になった。

念願の1人暮らし、やる事と言えば・・・そうオナニーである。

今までの親の動きにビクビクしながらの隠れオナニーではない。

堂々と自室で全裸になり、変態行為も可能。

おまけにオカズの宝庫ネットも使い放題の環境(実家は共有パソコンしかなかった)。

すぐさま2ちゃんのオナテク板の常連と化した。

そうしてオナニストとして最高の環境に進んだが、表向きはまだマジメキャラだった。

大学生にも関わらず部活に入り、バイトも始め、レポートもしっかりこなしていた。


大学1年の夏、新たな段階に進む・・・。

オナホの購入である。

初体験のテンガで若干オナホに失望した俺だったが、『@15』(オナホの一種)との出会いで、無事“オナホ使い”への道を進むことになる。

大学1年の冬にはオナニー回数は週7以上になっていた。

道具に手を出してしまった俺は次第に歯止めがきかなくなった。


オナテク板のテクニックを次々試し、終いに俺は禁断の領域に踏み込む・・・。

そう・・・、アナニーである。

手始めに綿棒で試し、何にも感じなかったが、それでも俺はローター、そしてアナルプラグ『エイナス1』(直径28mm)をポチッた。

ローターは全く快感はなかったが、プラグの圧迫感と背徳感はなかなか良く、以後、俺はオナる時はプラグを入れるようになる。


エイナス1で味を占めた俺はさらなる拡張を目指した。

『エイナス2』(直径40mm)の購入である。

購入当初は全くもって受入拒否だったが、1ヶ月ほど慣らすとその圧迫感にハマってしまった。


こうして拡張に目覚めてしまうと次に購入するモノは決まる。

ディルド、バイブである。


購入したのものは『アラブL』(直径40mm:全長180mm)と、『アラブLL』(最大径50mm:全長205mm)。

いずれもかなりの極太であるらしい。

かなりゴツいスペックに感じるかもしれないが、アナニストの拡張としてはまだまだ。

初級どころか入門レベルである。


そしてこの時、お遊びで一緒に購入したのが魔道具『エネマグラ』。

俺の人生を狂わせた最大原因・・・。

注文から期待に股間を膨らませつつ、待つこと1週間、実物とのご対面である。

第一印象は、(意外と小さいんだなぁ・・・)であった。

そしてこの時、俺は初めて、自分が世間一般でいう巨根の持ち主だと気付いた。


試しにエネマから試したが何も快感は無かった・・・。

専用スレでも「コイツで快感を感じるには訓練が必要」との事だったので、別段に落胆もせず、2~3回試した時点でしまい込んでしまう。

対して『アラブシリーズ』は画期的だった。

プラグとは比べ物にならない圧迫感+背徳感・・・っ!!
いわゆるトコロテンに達するのもそう時間はかからなかった。

そうして充実したオナニスト人生を送っていた。


しかし大学2年の夏、俺はアナニストが決して越えてはならない一線を越えてしまう・・・。


とりあえず2年の夏から3年の秋頃までの約1年間に俺は処女と童貞を失い、ハッテン場通いを続けていた。

そうして迎えた3年の秋、俺はふと我に返り、(俺ってゲイじゃなくね?)と根本的な事に気付く。

そもそも普段のおかずは普通のAVやら同人やらエロ本なわけで、女性に興味が無いわけではない。

そこで俺はハッテン場通いをやめ、普通に部内の女子に告白して付き合ってみる事にした。

その彼女との交際は至って普通で、付き合って1ヶ月でエッチもした。

その彼女とはしばらく続いたが、部活の引退に合わせて疎遠になっていき、自然消滅的に別れる事になる。


そうしてまたオナニストに戻った俺はそのまま順調に進み、実生活では大学院に進み、研究室の配属される事になった。

そんな院生1年の夏、ふと部屋の掃除(大量のオナニーグッズの整理)を思い立った俺は、その最中、何かに導かれる様に魔道具エネマグラを発見してしまう。

購入時は何にも快感も無かったので全く期待もせず、まぁ、見つけたから使ってみっか・・・ぐらいの気持ちで再挑戦をする事にしてみた。

案の定、全く気持ちよくない。

10分もしないうちに、やっぱり俺には合わないな・・・と切上げようと腰を捻った瞬間、脳天に電撃が走った!!!

この快楽は上手く説明出来ない。

とりあえず射精もしていないのに勝手に股間がガクガクなり、心臓の鼓動が妙にうるさく感じた。

快感の波が収まるまでほんの少しだったのだろうが、落ち着くと汗まみれで呼吸も乱れた状態、とにかく凄い快感だった。

ドライオーガズム開眼である。

初めのうちは成功確率もかなり低かったが、次第にコツを掴み、究極の快感に目覚めた俺はドライの虜になった。


そしてドライに目覚め、しばらく経ったとある日の講義中。

研究レポもまとめ終わり、今日は家に帰ってオナニー三昧だな・・・とか考えてる時だった・・・。

・・・ふと・・・無意識に・・・アナルで、エネマを挿れた状態の動きを妄想してしまった。

その瞬間である、脳天にドライの快感が流れ込んできた!

あまりに突然だったんで、講義中にも関わらず「うおわぁぁっ!?」と変な叫び声を上げて、立ち上がってしまった。


当然周囲から注目され、俺は赤面しつつすごすごと着席し、冷静に今の現象を考えた。

一応弁明しておくが、俺はかなりの変態オナニストだが、少なくとも今まで一般生活中でオナった事はほぼ無い。

アナニスト初心者の頃にプラグを挿入してコンビニに行ったぐらいである。

というか、この時は全くその気もなく、エネマなど使っていなかった。


・・・この時、俺は気付いてしまった。

自らの身が『ドライオーガズム』における“悟りの極地”=“脳でイク”段階にまで自分が解脱してしまった事に・・・。


それからの俺の日常は一変した。

自分の脳内でエロい事を考えず、無論勃起さえせずに絶頂の快楽を、いつでもどこでも味わえるのだ。

当時の俺はまさに絶好調。

部活や同学科の友人との付き合いも相変わらず続き、学業・研究も脅威的に進んで教授に驚かれるほどだった。

この時が俺の絶頂期である・・・。


ここから俺の転落が始まる・・・。

最初に指摘されたのは、院生2年になったばかりの頃だった。

研究室の助手に「最近、ボーッとしてる事が多くないか?」と聞かれたのだ。

言われてみれば、最近思ったよりレポートが進まない。

その時は、疲れてんのかなぁ・・・?ぐらいのもんだったが、次第にその症状は酷くなっていった。


そしてある日、決定的な事が起きる。

その日、休日の研究室で合成実験をしていた俺は、ドラフト内で行わなければならない実験を普通に実験台上で行い、さらに試薬の分量を大幅に誤り、有毒ガスを発生させてしまう。

幸いこの時は隣の実験室にいたインド人留学生(命の恩人)が気付き、俺は九死に一生を得たのだが、いくらなんでも最近の様子はおかしいと心配した教授に強制的に検査入院させられ、精密検査を受けさせられた。

両親にもこの報は届き、心配して九州まで来てくれた。

そして医者から“俺に”ではなく、“両親”そして“教授”に診断結果が知らされた。

詳しい病名は未だに知らない。


要は「脳内の興奮物質が慢性的に異常な量が出ており、脳が変調をきたしている」ということで、さらに医師が言うには「この症状は麻薬常習者の初期症状に似ている」というトンデモない内容だった。


無論、俺は麻薬なんてやったことはない。

風邪薬もほとんど飲んだ事が無いぐらい薬には縁遠い人生だ。

だがそれを聞いた両親、そして大学生活を知るはずの教授は、俺が薬なんてやってないことを最期まで信じてくれなかった。

病室に来るなり、いきなり詰問口調の父親・・・泣き崩れる母親・・・。

初めて見る両親の様子に俺は何が起きたか分からなかった。


両親が去った後も俺は医者に「オナニーで悟り開いちゃったんで・・・」と言えるはずもなく、その後の薬物検査等でも完全に“シロ”だったので、原因は何らかのストレスだろうという事だった。

だが、結局のところ両親と教授は完全に俺をシロと信じてくれなかった。

クスリをやったらしいという噂は研究室更には友人中に広がっており、退院後、俺は院を中退した。

院中退後は両親も俺を勘当同然に扱い、連絡も取れなくなった。


その後、俺は2年ほどインドへ行ったりとあてもなく過ごし、友人のつてで中国地方の某中企業に就職して今に至る。

大学の頃の友人は数人以外ほとんど付き合いも無く、両親・兄姉とは今でも連絡は取れない・・・。
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